とまにちわ!
10月の最後の日曜日(2019年は10月27日)に、パウロ家族は師イエス・キリストの祭日を祝います。
そして、この祭日を迎える準備といえば、ノベナ!(鉄板)
四谷修道院では夕方の聖体訪問の中で行われています。
今年の師イエスのノベナは、創立者の精神にスポットを当てて行われています。
聖体顕示の後、『パウロ家族の祈り』を共同で唱え、第一朗読はパウロの手紙から読み、
その後、「師イエスの向かう祈り」を唱え、第二朗読として創立者の著書を読むことになっています。
ちなみに、今日10月25日、第八日目のテーマは「天国」。
祈りは「師イエスへの射祷」。
第一朗読は「一コリ 15・50〜58」。
朗読後の祈り「師イエスの向かう祈り⑶」。
第二朗読は「聖体のみ前における四終についての黙想」より。
となっています。
せっかくなので、第二朗読の「聖体のみ前における四終*についての黙想」の一部を紹介しておきますね。
(*死・審判・天国・地獄を合せて「四終」と呼ぶカトリック教会の用語)
「天国は、永遠の善、すなわち変わることのない善である。この世の生は短い、日々は飛び去ってゆく、歳月は流れ去る。年を取るとともに、それはますます短くなるような気がするのである。しかし天国には、決して終わりがない。永遠。わたしたもの母国は天国である。そこには、暮れることのない日、老衰を知らぬ若さ、苦しみの恐れにかき乱されることのない喜びがある。わたしたちが、わたしたちの善であり、唯一の永遠の善である天国を考えないならば、自分自身に対して大きな不正を侵すことになろう。天国を考えれば、わたしたちはもっともっと勇気がわいてきて、喜びと、より大きな力をもって歩くようになるであろう。今は骨をおって実行している徳が、いちばん美しい愛すべきものに見えるであろう。」
なんていうか、
日々の現実の忙しさでグチみたいなことを考えていたから、足りないのが補充されていく感じ。
天国にもうすこし目を向けて、気に留めることを意識すると、ものの見方や考え方も変わるような気もするし。
思えば、天国って美しい。
これって、人の深い部分にずっと流れているテーマのひとつなのかも。
そして、人にとって、なくてはならない、大切な要素なのだと。
だからこそ、考えて考えて、積み重ねて、道を切り開いていくのかな。
さいなことからでもはじめよう。
…あ、なんだかいつもと違う感じになっちゃった。
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