軽井沢の宣教クララ会で年の黙想会 2016

修道生活

とまにちわ!

今年は「いつくしみの特別聖年」。この特別聖年は第2バチカン公会議閉幕50周年を記念して公布されました。50年前、教会の中で「aggiornamento(今日化、刷新)」が叫ばれていた頃、パウロ家族の創立者・アルベリオーネは第2バチカン公会議に先駆けて「今日化」を行うことを決め、1960年4月1日から30日までパウロ会員を集めて1ヶ月の黙想を行いました。
この黙想の目的の一つは、創立者にゆだねてくださった使命を創立者自身が総合し、霊的遺言のかたちで残すというものでした。黙想会の講話などは、すべて録音され後に書籍化(『Ut perfectus sit homo Dei』、以下UPSと略します)されました。『Ut perfectus sit homo Dei』という書名は、ラテン語で直訳すると「神の人が完全であるように」と訳されます。
パウロ会員が、招かれた聖性とゆだねられた使命に対して、神の人として全面的で、非の打ちどころがないようにとの意味で用いられた書名なのでしょう。少なくとも、UPSは、パウロ家族の主要な要素を網羅しようとしました。パウロ家族にとっては、単に創立者の遺産を総合的に学ぶということだけではなく、ゆだねられた使命を果たすために十全性をともなうキリスト化の必要性を示しています。

IMG_0361
と、いきなり難しい感じ(?)の書き出しで始まってしまいました。
今回は、黙想会で事前に配られたレジメから抜粋して、黙想会の様子をお伝えしてみたいと思います!
というか、これは個人的な講話の備忘録ですね。

IMG_0402
今年のテーマは「UPSに見られるパウロ家族の黙想」です。
(※UPSは日本語に翻訳されていません。)
ちなみに、黙想会は2016年6月13日から19日まで、御聖体の宣教クララ会軽井沢修道院で行われました。
黙想指導は澤田豊成神父(聖パウロ修道会)です。

IMG_0399

<パウロ家族 唯一の霊、唯一の使命、唯一の神秘体>

創立者は、「パウロ家族は今や完成された」(UPS I,19)と宣言して、9つの回を列挙し、各会の簡潔な説明をしました。実際には、聖家族会がまだ誕生しておらず、その後もパウロ家族の成長の歩みは継続するのですが、重要なのは、この時点で創立者がパウロ家族を「1つ」の存在としてとらえているところです。パウロ家族は、単に同じ人物を創立者とする会の総体ではなく、共通の霊性を持つ会の総体でもありません。それは、あらかじめ神の計画の中で一つの共通の使命を果たす神秘体・家族として定められていました。
それぞれの会には、固有の使命、組織、統治、会憲、使徒職がありますが、すべてが一つの神秘体として唯一の使命に参与するのです。「精神(霊)は一つでなければならない、それは、聖パウロの心に収められているものです。信心は共通です。そして、さまざまな目的は共通の全体的な目的へと結集します。イエス・キリストを全面的に世に与えること。」(UPS I,20)
現実には、それぞれの会の歴史と実情があり、ほとんどの国でパウロ家族の神秘は実現していませんが、少なくとも意識の上では創立者を通して示されたこの使命の全容を明確にしておくことが大切です。
特に日本で活動していない会について知る努力をして、その会の不在によって、日本におけるパウロ家族の使命の実現が十分にはなされていない痛みを感じ、それをどのように補っていくかを模索することが必要です。

IMG_0369

<召命・養成>

創立者にとって、「召命の問題は、数々の熱心なわざの中でも、第一のものとされなければなりません。イエスは、宣教をもって公生活を始められたのではありません。ご自分の弟子をつくることをもって始められました。湖畔で弟子たちを探し、彼らを招きました。」(UPS I.21)。ゆだねられた使命を果たすためには、パウロ家族には召命が必要なのです。
実際に、創立者はみずから召命のために尽力しただけでなく、パウロ家族の中に召命のために活動する修道会を設立しました。
「修道生活は、キリスト者としての生活の完成であり、キリスト者としての生活は人間としての生活の完成である。修道生活と司祭生活は、前もってキリスト者としてのすばらしい生活を要求する・キリスト者としての生活は、人間としてのすばらしい生活を要求する」(UPS IV.28)。
創立者は、養成の方法においても、内的確信を育むことを重視しました。「一般的に言って、抑圧的、悲観的、否定的な方法よりも、予防的、肯定的、楽観的方法が好ましい。調和のとれた全面的な聖性に達するには、堅固な意志を養成するための考え、徳を植え付けることこそ非常に懸命な方法です」(UPS II.192)。「教育者は、少しずつ無用な者とならなければなりません。逆に、自分を律するために長上の目が必要なうちは、その人はまだ養成されていないのです」(UPS I.252)。

IMG_0365

<修道誓願 清貧と労働>

創立者は、「すべての会が清貧を義務づけられていますが、すべての会が同じ方法ではない」(UPS I,455)ことを認めつつ、清貧を次のように5つの視点から説明しています。
「清貧は、最大の豊かさです。味覚、服装、住居に関する小さな放棄はどれも天において大きな獲得になります。パウロ的精神は5つの機能をもっています。すなわち、放棄すること、生産すること、保つこと、供給すること、築き上げること」(UPS I.446-447)。創立者は、特に清貧を「労働」と結びつけています。しかも、パウロ家族の使徒職と結びつけています。
総合すると、パウロ家族における清貧とは、一方ですべての被造物の善から離脱しながら、すべてを保ち、すべてを使徒職に注ぎ、修道会の必要にすべてをかけてこたえていくことによって、すべてを造り上げていくこと。こうして、使命の実りという最大の富を生み出していくということです。

IMG_0362

<修道誓願 従順>

修道者の従順は、長上への従順というかたちをとりますが、それは神への従順を生きるものです。
「従順は、わたしたちの意志の神の意志への一致です」(UPS I,521)。「主の意志は、ご自身の言葉の中に、また長上をとおして、そして出来事や物事の中に現れます」(UOS I.522)。したがって、神への従順は、長上の言葉の中に神のみ心を探し求める中でなされるとともに、み言葉の深めや、ありとあらゆる出来事、人間関係などの中にみ心を探究することと平行して完成されていきます。そのため、創立者は従順のために良心の養成が重要であることを強調します。
また、創立者にとって、従順とは十全的でなければなりません。「全面的な従順。すなわち、考えの、心の、望みの。考えの従順。言われたことの意味、目的、範囲を理解すること。心の従順。受けた役職、仕事、任務に愛を注ぐこと。そこに神の意志があり、多くの功徳の機会があるために、これらを愛すること。望みの従順。全面的な同意、全面的な温順をもって受け入れ、よい結果をもたらすことができるよう霊的、身体的力、たくさんの祈りを注ぐこと」(UPSI I,526)。

IMG_0378
と、黙想の講話は、まだまだ続くのですが、いかがでしょうか。
ちなみに、この後の項目は「共同生活」「霊性」「使徒職」「統治」「パウロ会員とは」です。
個人的には、いろんなことが具体的に分かってくるのが単純におもしろい(?)です。

これはなかなか……

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で