修道生活

年の黙想中に取ったメモをひたすら見てみる

とまにちわ!

御聖体の宣教クララ会軽井沢修道院で行われた、年の黙想会。
今年のテーマは「師であるイエス〜マタイ福音書に着想を得たパウロ家族の霊性〜」。

あとで振り返るために、講話中に走り書きしたものを、無謀にも、ただ載せてみようと思います!
おまけに、ただのメモにもかかわらず、全10回の講話なので、それなりにボリューミー。
正直すごく長いし、意味もわかんないけど、なんとなく黙想会の雰囲気を感じてもらえるかも?

そうそう、講話いただいた澤田豊成神父からレジュメも頂いたのでアップしちゃいます!
正しい講話の要約は「こちら」からご覧くださいね。

あ、えっ。
それなら、このメモ書きいらないって?
いえいえ、これは、あなたの忍耐力を養う、神のわざなのです!!(苦笑)

1.唯一の師であるイエスキリスト

マタイ23.1-11

聖書こそ私たちの中心。
司牧的な視点から聖書を広めていくこと。
生活の基盤に聖書をおいているか。
聖書は私たちの生活に直結している。

マタイ福音書
師キリストのインスピレーションを得た。
一番大切なマタイ福音書を取り上げられることがなかった。
マタイ福音書23・1-11、また、書物全般に渡って。
マタイ福音書を深めることで、私たちのカリスマも深めることができる。
師キリストと私たちの姿をマタイ福音書から見つめる。
来年はヨハネ福音書を見ていく。

何が問題とされているのか。
先生と呼ばれてはならない、私たちの先生は、、、。
聖書全体が私たちに何を言おうとしているのか。
師、弟子、という時、どんな姿を私たちは理解しているのか。
彼らの言う事は学ぶ、行いは見習ってはいけない。
唯一の師、先生は、キリスト。
仕えるものとなること。
キリストの思いを理解し、生き方をする。

道、真理、生命であるイエスキリストがマタイ福音書の根底にある。
理路整然とまとめられている。
なぜ第1福音書となったのか? 一番よく使われた福音書だから。
使いやすい福音書を目指して書かれたから。
五つの福音のブロック、特に山上の説教を大切にした。
イエスキリストとどう向き合うのがいいのか。
福音宣教の中で師キリストの神秘を生きていく。
コミニュケーションの世界で師キリストの神秘を証ししていく。

2.公生活のはじめ

マタイ5.1-12

共観福音書:マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書
大筋ではマルコ福音書の流れ。
典礼では三年周期で朗読される。
書き出しは中心テーマを表す。
ルカ福音書:ナザレ 低いものが高くされる。
マタイ福音書:兄弟の召命 イエスの教えから始まる 真福八端。

インマヌエル 共におられる方。
ユダヤ的教育風景 先生と生徒の距離が近い。

山上の説教
険しい山。
尊い言葉が口からあふれでる。
弟子たちはイエスのもとに近寄って行く。

1.弟子としてあるべき姿
2.宣教にかかわる教え
3.例えを通して、天の国について
4.兄弟たちどうしの関わり
5.終末に関する教え

公生活の最初の言葉「幸いである」。
重要なことは繰り返す。

幸いだ、あなたがたは。

聞いている弟子たちに集約してゆく。

全部、置かれている状態をあらわす表現。
たまたまそんな状況にある人たちに向ける。
神だけに信頼する人は幸いだ。

地の塩、世の光。
主役は塩でも光でもない。
他者を輝かせるための存在。
イエス自身が来たことの宣言。
基準が圧倒的に上回っているイエスキリスト。
自分を低く謙遜すること。
弟子としての基準。
イエスキリストとどれだけ一致できるか。

3.み言葉を聞き、み心を行う

マタイ7.21-27

自分の思い込みで神の言葉を受け取るのは危険。
それぞれの福音書のメッセージの行間、意図をを理解する。
ストーリーを追うのではない。
聖書に対する尊敬が必要。

天の国に入ることができない人。
私たちは、主よ、主よと言い、御名によって預言し、奇跡を行い、福音宣教しましたと言う。
しかし、神は知らないと言う。
私たちがいいと思ってやったことではなく、神の御心を行ったかどうか。
神との深い人格的な関わり。
神は私と関わりを築けなかったので、知ることができなかったと言う。

神からの救いは、単なる神からのプレゼントではなく、神との深い関わりが持ち、愛することができ、生き、とことんまで突き進めなければ、救われることはできない。
修道生活をしていれば天の国に入るというわけではない。

創立者がいう神との関わり
1.主の御心にかなう業をおこなうこと。
2.意向が真っ直ぐで正しいこと、二時的な目的がないこと、自分の利益でないこと。
3.恵みの状態にあること、神を愛していること。
4.完全になしとげる 。

思い違いに注意しなければならない。
神と私たちの考えの懸け離れた違い。
神の御心にどれだけ近づけるのか。
真剣に深めなければ見えてこない。
会の歩むべき道は個人主義が進めば見えてこない。

7.21 家と土台
ルカ福音書、ギリシャ文化、建築形式、どこに土台をつくるか。
マタイ福音書、土台はほってない、パレスチナ文化、気候風土、乾季と雨季。
マタイ福音書は何を重要としているのか読み取る。

ブドウは水の代わり保存可能な飲み物、乾季を生きるために。
井戸、ブドウが出てくる場面は、生きるか死ぬかの場面。

常識的には平地に家を建て、岩の上には家は建てない。
逆説的な教え。
私たちにとっては愚かに思えることが、神にとっては賢いこと。
常識的に生きることは、神の目には愚かな生き方になってしまう。

私たちにとっての賢さとは何なのか。
私たちの決断をもう一度見つめ直す必要がある。

4.派遣される者として

マタイ9.35-11.1

宣教に際しての教え。
弟子であるキリストとはどんな存在か。

創立者はパウロを使徒とみる。
使徒の女王マリアは使徒を守り導く。
パウロ家族は使徒性を持っている、宣教の精神。

弟子としての特徴は何か?

マタイ福音書の特徴
一つ一つの物語を短くすることで、活動の広がりをスピーディに表現。
イエスの働き全てを網羅していく。

「憐れ」は、ギリシャ語で臓器、腹わたの意味、活力の源、造語。
神はどうにかして何かをしないではいられない。
あり得ない出来事に対する神の対応、やりすぎてしまう。

導き手がいない、疲れて倒れそうな人をみて、イエスは「憐れ」に思う。
働き手を送ってくれるよう神に祈れ。
私たちの使命のために純粋に祈る。

宣教使命
抜け出すことができないどうしようもない状態を見たとき、神と同じ憐れみを感じ、居ても立っても居られない。
宣教の優先順位は、神の計らい、納得のいくものばかりではない。

タダで受けたのだから、タダで与えなさい。

だんだん、評価を欲しがる私たち。
無償で宣教の使命を果たしていく。

人間関係の教えへと続く。
あなたはどうすべきか。
イエスの名の上に、被害者が加害者のために尽くす。
人間の基準と天の父の基準は違う。
おん父の御心を据える努力をしているか?

5.救いとはいったい何なのか

マタイ25.14-30

目を覚ましていなさい。
用意をしていなさい。
泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

三つの例え話は終末に関する教え。
厳しい罰、厳しい結末。
神の御心は違う。

救いの判断基準は何なのか。
私たちの基準の置き方。
イエスの望みに従えるのか?

教えを学ぶだけでは意味がない。
メンタリティ、判断基準、考え方の根底にあるものが、イエスの望みにかなうものになっているか。

生きる姿勢を説く:たとえ話
問題になるには結末。
あなたたちを知らない、だが、神は最初に選んでいた、知っていた。
救いに到達できない人たちは、神の御心を知らない。
可もなく不可もなく、定められていることを淡々とやり、過ごしていた。
神の思いに応えようとする視点が欠如している。
私にできることは?
神に目を向けること。

慈しみ深い神と一緒にいたいと思っているか。
慈しみは心地よいものとは限らない。
自分が望むものが与えられるものではない。

1タラントのしもべは主人が怖かった。
主人と距離を置きたかった。
しもべにとっては、願いが叶ったと思ったが、離れた時、そこには嘆きと歯ぎしりがあることに気づく。
主人の思いを勘違いしていた。

主人の思いに応えようとすること。

主人はそれぞれの能力に応じてタラントを預けた。
しもべと主人との関係性。
何をしたかでない。

自分のことには気づけない。
自分を変えることは難しい。
他人との関係が難しいのなら、見えない神との関係をうまく築けるわけがない。
うまくいっていると神との関係を勘違いしている。
終わりの時までに、神との関係に早く気づき、軌道修正していく必要がある。

イエスと同じ視点を持っているか?

6.イエスの心に学ぶ

マタイ11.25-30

「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

世紀を分ける夜。
創立者の体験から得たもの。
パウロ家族の霊性に到達していく。
パウロ家族の原点。

マタイ福音書と創立者との対比。
イエスのもとに行って何をするか。
師イエスに学ぶこと、イエスのくびきを背負うこと。
学ぶ弟子の姿。
師であるイエス自身がもっている御心を模範にする。

イエスはおん父に向かって祈っていたが、突然、「疲れた者、重荷を負う者は」に対象が変わる。

小さい者に使命を託された。
分相応なのに神から選ばれた。
使命を果たせず、疲れ、重荷を負っていると感じている人に向けて言う。
「休ませてあげよう。私のくびきを与えよう。わたしに学びなさい。」
柔和で謙遜な心を学ぶよう言う。
逆説的な教え。

言葉でもって教えられたこと、謙遜で柔和な心。
イエスの生き方と関わらなければ得られることができない。

創立者は、教会の中での自分の使命を思い巡らし、神の側からの働きかけを感じ取る。
まるで義務づけられているかのように感じる。
20世紀の人々のために。

イエスの招きの強さを感じ取らなければならない。

日本語の訳では表現しきれていない部分がある。

創立者は神からの招きを自分に向けられたものとして受け取った?
イエスの招きを使命の中心として理解していた?
創立者はマタイ福音書を理解して深めていたのではないか?

7.イスラエルのすべてを担われる方

マタイ1.1-17

いくつかの伝承をもとに文学的な構成を施す。
イエスはベツレヘムで生まれた。
ナザレ出身のナザレ人。
誕生の地が共観福音書は異なる。
イエスの神秘を見る。
むやみに一色単にしない。

ゲネシス(ギリシャ語):由来、出生、ルーツ、系図。
系図は正確に家系図をたどるものではない。
名前を通してイエスが何者なのかをたどる。
イスラエルの太祖がイエスの出発点。
ダビデの子孫イエス、王であるメシア。
イエスの完全性を系譜でたどる。

華々しい人物だけでない。
バビロン捕囚。
聖書に登場しない無名の人物、適当な人物。
だれが母親であるかは重要でない。
実子であるかどうかは重要でない。
イエスは(迎い入れられた)マリアから生まれた。

4人の女性が登場する。
タマルという女性を最初の女性として登場させる。
ラハルは異邦人の女性で遊女。
ウリアの妻(バトシェバ)、他人の妻。

苦しんできた人たち、特に女性たち。
マイナスの部分までも系図の中に散りばめる。
それらがすべて、イエスに繋がっていく。

イエスの名前の説明はマタイ福音書だけ。
インマヌエル(神は私たちと共におられる)。
ヤシャー(神は解放される)。
罪から解放される。
イスラエルの民を意識している。
神は罪深いイスラエルの民をご自分の民としてくださる。
神はどんなに罪を犯していても自分の民としてくださる。

すべてを調和させる。

小さな者、謙虚さ、卑しい者と認めること。
イエスを模範としていくこと。
実感として学んでいく。

8.金持ちの青年

マタイ19.16-30

聖アントニオは、自分に向けられた言葉だと受け取った。
修道生活の始まりといわれている。
バチカン公会議以降は、キリスト者全般をあらわす。

今は、神のわざが成し遂げられているか。
神のわざを果たそうとしているか。
清貧、従順、貞潔はそのためにある。

修道生活も財産、能力、数など、目に見えるものに重きを置いていないか。

福音宣教は対話と平和。
無理やり強制するものではない。
相手のことを理解すること。
信者の数ではない。
神の御心が果たされているのかどうかが重要。

心の貧しい人は幸いである。
イエスに全面的に従うこと。
身をもって教会の中で証ししていくこと。

奉献生活者に対する期待
-キリストに結ばれている喜びを表すこと。
-交わりのエクスパートであること。
-世に出ていくこと。
-神に忠実であること。

「隣人を自分のように愛しなさい」
マタイ福音書だけがこの掟を付け加える。

「完全さ」
ユダヤ人にとっては最上級のものではない。
かけたところがない。
神には完全さという言葉は使わない。

どんなに掟を守っても、行いだけは永遠の命に入ることはできない。
神の御心を行わなければ、修道生活はどうか?

創立者が神から照らしを受けた修道会。
力は一つに集約。
真理であるイエスと一致。
私たちは「神の人」。
わたしたちは創立者の思いを具現化しているか?
道、真理、生命である師イエスの思いを生きていくこと。

協働者と使徒職
修道者の減少。
コミュニケーション世界の変化。
修道者でなければならない使徒職からはじまったが、修道者だけではできなくなった。
それでも私たちのわざは神のわざになるのか。
協働者にどれだけ私たちの使命を伝えることができるか。
コミュニケーション手段をつかって神の国を実現すること。

存在すること自体で何かを変えていく。
これが真の弟子のあるべき姿。

9.イエスのエルサレム入城と受難

マタイ21・1-11,26.1-27.61

ヨハネだけ、ナツメヤシ(永遠の命を表現?)の枝を手にとってイエスを迎える。
他の福音書は道に枝(おそらくオリーブ)を敷き詰める。
典礼はヨハネをもとにしている。
木が生い茂るというのは、イスラエルやユダヤ人には楽園を表す。
ナツメヤシを間違ってシュロと訳したようだ。
そして、日本ではなぜかソテツを使うという摩訶不思議な光景。

マタイ福音書の特徴
-イエスは王としてエルサレムに入る
-ゼカリヤの預言の引用で説明する
-柔和で、荷運ぶ子ろばに乗って
-王にはふさわしくない姿
-ひどい扱いの入城の場面
-イエス自らそれを行なってエルサレムに入る
-マタイ福音書は際立って、ひどい仕打ちを受けるイエスの受難場面を描く
-されるがままのイエス(何の反論、反応もしない)
-人々からの酷い仕打ち

私たちはどうあるべきか?

権力者、支配者がこの世を動かしているように思えるが、イエスの死後は、イエスの謙虚さ、救いのわざ、神の力が現れてくる。
超自然的な力に気付く(墓を見張っていても墓は開かれる、復活される)。

神の権能は人間の思惑を越えている。
すべては神の支配下にある。
神は人々の前で、「柔和、謙遜、貧しさ、平和な姿」で成し遂げる。
決して手を出すことはしない。
これが師イエスのなさり方。

敵だからすぐに取り去ることはしない。
イエスは最後の時までずっと待つ。
困難に負けることなく、神に留まること、従おうとすること。
イエスを一身に見つめ続けること。

自分自身はどう生きようとするのか?

10.弟子たちへの出現と派遣

マタイ28.16-20

生きたイエスの心を学びとっていく。
イエスはもっとも小さな兄弟と共にいてくださる方。
弱っている人にあわれみを注がれた方。
受難と復活という、身をもって示された神秘。

弟子たちの派遣
ガリラヤでの復活したイエスの出現 (マルコとマタイのみ)。
なぜ田舎のガリラヤに?
イエスを一度裏切って打ちひしがれた弟子たちの葛藤。
どんな顔をして復活したイエスに会えばいいのか?
弟子たちはガリラヤに向かい、回心する必要があった。

山上の説教(ガリラヤ)では、弟子たちがイエスに近づくが、復活後はイエスの側から弟子たちに近づく。

権威を行使しない、仕えるため。

派遣、福音宣教
すべての国に行ってすべての人をイエスの弟子にしなさい。
師イエスと一致する弟子
伝えるだけでは足りない

創立者はそのために多くの修道会を創立し、足りない部分を補おうとした

すべての根源は、イエスキリストにある
「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」

イエスの力に支えられ、柔和で謙遜なイエスの真髄に立ち返る
自分本位ではなく、常にイエスに耳を傾ける

ひとりひとりの体験が修道会を豊かに作る
師イエスに学んでいく、深めていく
創立者の霊性を学んでいく、深めていく

長文、お疲れ様です!
黙想中に食べた牛丼でエネルギーをチャージ!!

次回からは軽井沢のユルい話題をお届けする予定です。
安心してください!?(笑)

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